剣片喰

剣片喰(ケンカタバミ)・・・とゆーのが家紋だそうです。

2022年2月2日
昨年ふと、ひいじいちゃんの名前を検索したら、
くだんの著作が古本屋さんでヒットしました。

値段は・・・8000円・・・
一族以外には価値なんてなかろうに・・・(一族でも価値はないけど)
どうしよう、でもこれを逃したらもう二度と巡り合えないかも・・・
と逡巡した結果、供養と思ってぽちっ・・・
届いた薄っぺらい冊子。中身もうーん。
まあ気持ちの問題かな。ねえ、ご先祖様。




2014年6月20日
もう10年前になるけど、家族で車旅行した時に立ち寄った秋田県鹿角市八幡平に長内館・長内古館という古城があります。地名もズバリ長内。

















この長内館は鹿角安保家から分かれた長内刑部なる領主の築城らしいです。
南北朝室町期 14世紀ころのことらしく、南部家に追われた落城後の去就は不明。
きっと岩手に流れて一族の出身地、長内村(現在の久慈市長内町)を開村したのではないかと勝手に想いを馳せてます。
地名に長内とあるのがなぜか面はゆい・・・

どこがお城かわかりませんが・・・
これも700年前の城跡らしいです
古城ファンの方が結構ブログにUPしています。
[長内古館][長内館]で検索してみてください。

「長内館」はその筋では有名だとか有名でないとか。

嫁はもちろん、子どもたちも全く興味なさげだったけど、まあ、大人になったらわかるんだよ。
このロマンがorz


長内館(秋田県遺跡情報より)

指定の有無指定なし(赤)
遺跡等名長内館
地図番号209-9-363
市町村鹿角市
所在地鹿角市八幡平字長内、糸坪平、船ヶ沢
種別館跡
現況境内地、畑地
土地所有者民有
遺構・遺物【中世】空堀
所蔵者 
備考『秋田県の中世城館』 秋田県教委 1981、『鹿角の館調査報告書(4)』 鹿角市教委 1985、『遺跡詳細分布調査報告書』 鹿角市教委 1990
年代中世




2014年6月6日
今年もYOSAKOIの季節となり、長男最後の演舞を追っかけた。

長男のYOSAKOIチーム「心~sin~釧路学生魂」

雨の中、ずぶ濡れで・・・でも沿道は結構人がびっしり

最後の演舞は札幌駅南口会場
雨も上がり、大盛り上がりでしたお疲れ~


2014年5月19日 
娘の弓道大会にこっそり忍び込んだ。
でも噂に聞いてた通り、いつ出てくるんだかわからず、応援・見学スペースも小さくて、しかも一回ずつ入替。なんか、上野のパンダ見物みたいに柵に張り付いてw
我が家の家訓として、小さいころからなんらかの運動系競技に勤しむことを義務付けているのだが、その成果として子どもたちの体幹力は鍛えられたようだ。
それに加え、なぜか一族、射撃系の筋もいい。
でも、いわゆるいわゆる器用貧乏な家系で大成はしない血筋なんだよ。スマン
ともあれ、全道大会出場オメ (*'∇')/゚・:*【祝】*:・゚\('∇'*)
とりあえず雰囲気だけ撮ってみた

おー、名前がある。

2013年6月9日 
長男のYOSAKOI出場を冷やかしに。
でも、けっこう、いいんだな、これが。
ハマる気持ちもわかるかも。
釧路の学生チーム「心~sin~釧路学生魂」 セミファイナル進出オメ!
しかし息子よ ちょっとは勉学に勤しめよ


2013.3.31 次男坊が札幌選抜に選出され、全道優勝
星飛雄馬みたいに物心ついた時からおもちゃ代わりにバスケボールで遊んでいたからなあ
まあ、NBA養成ギプスはなかったわけだが・・・



約50年前の原風景

納戸を整理してたら昔の写真が出てきた。

50年近く前の南区澄川。
当時は油沢って地名だったような。
開拓農家の祖母が果樹園をやっていた。
両方とも現バス通りを同じ場所で撮ったもの。
住宅なんてほとんど周りになくて、野山を駆け回っていたっけ・・

考えてみればこのころはまだ戦後20年足らず。
空襲はなかったみたいだけど、ムロとして使ってたのは防空壕だったのかな・・・




これが約45年くらい前
不肖の兄と不精の弟(w
これが現在







 2012年3月、子どもたちの合格祝い旅行で京都~奈良~神戸と回ってきました。





       

 京都では娘のハマっている新選組の名所めぐり。男3人はただ後ろをついて歩くだけの2日でしたが・・・

鹿に襲われる直前の長男w
この後悲劇が・・・








ひいじいちゃんの長内寅之助
小さい頃、おとぎ話みたいに親に聞かされてましたが、当別町役場に見に行ったらほんとにありました。

じいちゃんは長内虎雄
歯医者だったらしいですが、除籍謄本の住所を見たら、中央区北8條西2丁目2番地・・
なぜか第一合同庁舎と同じ住所・・・
親父がよくボヤいてましたが、ルンペンストーブの発明者だったらしいです。「なんで特許とらなかったんだ」と・・・
昭和12年7月没

親父は長内孝士
もう鬼籍に入ってますが、かなり破天荒な男でした・・・
澄川に入植した京墓家のハル(後の小森ハル)と虎雄の長男



最近ググってみたら、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーなるものに、寅之助の著書が数点ありました。
最近の情報デジタル化はすごすぎる・・・
けど、著作権「文化庁長官裁定」って?



今回の災害に見舞われた久慈に長内町があります。
これもよく聞かされていましたが、一族の出身地だそうです。
合併前は長内村。長内川もあります。
数年前、家族旅行で行ってきました。
嫁や子どもたちが冷たい視線を浴びせる中、来たことのない土地なのになぜかとても懐かしく・・・
震災でどうなっているのか、胸が痛みます・・・